幼少より有賀和子氏に師事.1977年桐朋学園高校を卒業.
ザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学、ハノーファー国立音楽大学において名教師ハンス・ライグラフ氏に師事.
1979年、エピナール国際コンクール第1位.1980年、J.S.バッハ国際音楽コンクール第2位、クルト・ライマー・コンクール第1位.1981年、ロン=ティポー国際音楽コンクール第3位及ぴ特別賞と数々の国際コンクールに入賞している.
1983年第32回ミュンヘン国際音楽コンクールピアノ部門にて日本人として初の優勝.ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮パイエルン国立歌劇場管弦楽団と協演、ミユンヘンでのデビューを飾る.
日本では、1984年に「若い芽のコンサート」でNHK交響楽団と協演。大阪フィルハーモニー交響楽団、東京都交響楽団のヨーロッパ公演に同行.ブラームス、シユーマン、サン=サーンスの協奏曲を演奏し各地で絶賛を博した.その後も日本の主要なオーケストラと協演を重ねている.
録音においては、1988年5月、デピューCD「シューマニアーナ氈v(フォンテック)を皮切りに以降もライフワークとして、作曲家シューマンを追い続け,これまでに「シューマニアーナ」」まで発表。その他「ショパン:エチュード作品10、25」「ブラームス:ピアノ協奏曲第1番(朝比奈隆/新日本フィルハーモニー)V、「ピアノ通信氈vをリリース。いずれも高い評価を得ている.
1990年秋の八ケ岳高原音楽祭ではリヒテルのプロデュースするモーツァルトのソナタ全曲演奏会に出演.1993年2月、ミュンヘン・シンフォニカーとザルツブルク祝祭大劇場で共演.同年、第19回日本ショパン協会賞受賞.その年の10月、キタエンコ指揮フランクフルト放送交響楽団の定期公演に招かれ、また日本ツアーのソリストとして協演.1994年4月には、キタエンコ指揮ベルン交響楽団の定期公演に招かれ、高く評価された.
知性と感性の見事なパランスに支えられた強靱なテクニックと構成力あふれる演奏は、正統派ピアニストとして国際的に高い評価を得ている.